和食器のよさは、土や磁器を使った質感にあるとも言えます。
洋食器と和食器の違いは、食文化の違いからもあります。
和食器の文化は、茶碗など多くの器を手に持って使います。
それに対して洋食器の多くはテーブルに置いて使います。
そのため洋食器は、フォークやナイフを使う文化として発展し
うつわは傷が付きにくい磁器を主に使い制作されています。
逆に和食器は、箸を使いうつわを手に持つ文化とし発展し
うつわは手触りや風合いを重視した作品が多く制作されていきます。
これは、土などの「素材」に関係して
日本にはやきものを制作するのに「良質の土」があったのです。
そのために和食器は手触りや風合い、焼き方などにこだわり、
「良質の土」が手に入りにくかったヨーロッパなどでは
石を砕いた磁器のうつわに絵付の技術が発達しました。
ちなみに、オランダのデルフト皿などは中国の明時代の
白磁のやきものに憧れ真似たものです。
今でいう海外のブランドアイテムです。唐物茶入などは一国一城と
交換されることもありました。
そんな中、室町末期から桃山時代にかけて詫び寂びという新しい
美意識が生まれます。 舶来アイテムも中国の高級品から朝鮮で
作られた普段使いの雑器・ファストアイテムに美を見出し、高麗茶
碗などを高級品として重宝していきます。
そしてこの頃から、海外からのアイテムではなく
メイド・イン・ジャパンである国焼を創り出します。
そうThis is やきもの 誕生です♪
安土・桃山時代(1568~1600年)。
この時代に黄瀬戸や志野、多くの国焼デザインが生まれ日本文化
を決定づけるのが、千利休プロデュース作品の誕生です。
侘びの精神を器に取り入れたかのような静寂さを持つ黒。
まるで無を示すようなデザインを提案。
究極の日本美の世界を提示し、多大な影響を与えます。
この時、天下人は、豊臣秀吉。
秀吉は黄金を好み、金の茶室など利休とは相反する価値観。
利休は死に向かいながら侘び寂びの世界を確立していきます。
そして秀吉は利休に切腹を命じます。
そして利休亡き後には、弟子の1人・古田織部により織部焼など
ダイナミックで開放的な国焼シーンに移り変わりながらメイドイン
ジャパンのやきものが多く誕生します。
ちなみに、このころのお茶碗というのは、抹茶碗のことで、ご飯を食べる
ご飯茶碗などは江戸時代中期・明和年間(1764年~1771年)ごろ
将軍がはじめて磁器の茶碗でご飯を食べたと記録が残っているくらいで
庶民の食事には、木のうつわを使っていたそうです。
やきものは茶事に使う高価なもので、
ご飯茶碗が庶民の普段の食事に
使うようになったのは、江戸末期から明治ごろからです。
そして、現在作家の和食器・やきものは
高価な値段のものからお手ごろな価格までさまざまで
和食器の伝統を受け継ぐ作品から、海外のデザインを
取り入れた作品まで多彩化しています